勇者の谷
バーティミアスシリーズでおなじみのジョナサン・ストラウドの2009年に日本で発売された作品。
短いあとがきまで含めて587ページもある超大作。とにかく長い。物語に入り込むまでずいぶん時間がかかった分、読み終えるまでにかなりの時間を要した。
結果的に面白かったが、その面白さに見合う時間なのかどうかはわからない。
とにかく主人公のハリが全然好きになれない。ただのイラつく田舎者のガキでまったく共感できない。これはこのページ数を読むうえで最大の難関だ。さらに後半に入るまでまったく面白くない。本当に何なんだこれって思うだろう。きっと最後まで読める人はかなりの変わり者か暇人だろう。
もともと恋愛が入った物語が嫌いなので、アウドが出てきてからは嫌な予感しかしなかった。醜いハリと美しいアウド…美女と野獣といった構図は1番見たくなかったが、まあ見ずには済んだので良かった。最後に少し暗示されてはいるが…。
最近の作品の中ではかなり異色の本だと思う。逆に言えばどストレートな王道の物語らしい物語なんて近年書かれていなかったんじゃないだろうか。だからあえて作者は書きたかったのかもしれない。
ラストのトローの正体が先祖のゾンビだったという部分は、ジョナサンらしいパンチの効いた大オチだったし、とても皮肉が込められている。
古い習慣や生活に対する信仰にも近い保守的な部分に対し、縛り付けられていることに気付けと、どこにも行ける自由があるのになぜ行動できないんだという想いが込められていたように思う。
イギリスだけでなく、日本にも当てはまるだろう。田舎で育ったものは、東京や大都市に出てくることはおろか、海外に出て暮らすなんて発想すらない。地方の田舎は、思っているよりずっと保守的で、諦めにも近いものがある。そこで生まれ育ったものに求められるのは何だろう。本当に生まれた瞬間から退屈な人生を受け入れるだけしかないのか。都会でも同じだ。これは田舎がダメで都会に行けと言っているわけではない。まだ見ぬ世界への憧れや興味を行動に起こすための答えである。
閉ざされた世界の中での幸せもある。それを心の底から求めている人もいる。
今回の勇者の谷に近いのはムーミン谷かもしれない。
ムーミン谷はそれでも幸せそうに描かれる。毎年訪れる季節を細やかに迎え入れ、日々を過ごす。その中にスナフキンがいた。スナフキンはいつも旅をして面白い話をムーミンに聞かせる。だけど勇者の谷は違う。谷の外へは出られない。出られないことになっているから。そんな中でも必ず外に出ようとするものが現れる。それは閉ざされているからこそ、反発するものが出てくるのか、必然なのかわからない。秩序があれば、それに逆らうものが生まれることが自然の摂理なのかもしれない。
ジョナサンは昔話に自身のエッセンスを取り入れた実験的な作品をかいた。それがこの勇者の谷だ。オールドスクールを今やってのけた感じだ。